6月2日 心の高ぶりを捨てて
歴代誌第二 32章16節~26節[ビデオメッセージは⇒こちら]
ヒゼキヤ王は南ユダ王国を良く統治した王として有名な人物であり(II歴代誌31:20)、アッシリアの王センナケリブが攻めてきた時にも、窮地にたたせられながらも、勝利へと導きました。ヒゼキヤのさまざまな功績は、ヒゼキヤが主の御前に祈る祈りに主が応えてくださった賜物でもありました(20~21)。いつしか、人々はヒゼキヤに対して尊敬の目で見るようになりました(23)。
そのようなヒゼキヤがある時、病気になり死を意識させられる程の危険な状態となりました。しかし、ヒゼキヤが祈った時、主はその祈りに応えてくださいました。「ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心をたかぶらせたので、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った」(35)のです。ヒゼキヤは、これまでの功績も、祈りが聞かれたということも、みな自分の功績のように考えたのです。祈ればずべてが聞かれると言うような高ぶりがヒゼキヤの心を支配するようになっていたことに、主が怒りを示された出来事でした。その後、ヒゼキヤは速やかに「その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼も工Jレサレムの住民もそうしたので、主の御怒りは、ヒゼキヤの時代に彼らの上に臨まなかった」(26)とあります。主の前にいち早く悔い改めて、祈りをささげたことが救いとなりました。どんな場合も高ぶりは主の御心を損なうことを覚え、へりくだって祈っていくことが大切なのです。