2月18日 天の窓が開き,あふれる祝福が注がれる

マラキ書3章6節~12節

神は,預言者マラキを通して,「主であるわたしは変わることがない。」(6)と,主
の愛は変わらずにイスラエルに向けられていることを語られ、「わたしに帰れ。そ
うすれば、わたしもあなたがたに帰る。~万軍の主は言われる〜」(7)と言って、
民をあわれみ招いていてくださるお方であることをお語りになりました。
しかし、その神は,祭司たちがささげものをないがしろにしていること、また、民
たちにも「あなたがたはわたしのものを盗んでいる。」(8)と指摘されています。
これは、単にさばきの警告だけではなく、むしろ「十分の一をことごとく、宝物
倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。~万軍
の主は菖われる~.わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかり
の祝福をあなたがたに注ぐかどうか。」(10)と言われ、ささげる者のうえにある
祝福、恵みがいかに大きなものであるかを示しておられるのです。
主なる神は特別なささげ物を求めておられるのではなく、かつてアブラハムが
主の祭壇を築き、十分の一をとってささげ、祝福されたように、ささげものは、む
しろ神が私たちを祝福に招き入れてくださることにつながるものとして語られています。
ささげることはマイナスなことではなく、そのことによって神がいかに恵み深く
祝福してくださるお方であるかを知ることです。それが信仰者の祝福の一歩であ
ることを覚えたいと思いまず。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です