3月24日 「神の子ならば・・・」
マタイの福音書27章27節~50節
今朝は受難週を覚え主イエスの苦難の歩みに目を留めていきたいと思います.
十字架刑の行われる前,イエスはさんざん辱められて後,十字架を背負わされて刑の執行されるゴルゴタの丘へ向かっていきました.ゴルゴタの丘は高台で民衆がどこからでも見ることが出来る場所でありましたが,それは同時にイエスをさらに辱め,さらしものとすることになりました.民衆は十字架上のイエスに対して,「神殿を壊して三日で建てる者よ,もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ.そして十字架から降りて来い」(40),「他人は救ったが,自分は救えない.・・・神のお気に入りなら,今,救い出してもらえ.『わたしは神の子だ』と言っているのだから」(42〜43)とののしり,イエスと共に十字架にかけられた強盗たちも同じようにののしりました.人々は,超自然的な御業を行って神であることを示して見ろと言わんばかりにののしったのでした.しかし,主イエスは神の子だからこそ,愚かしい罪深い者たちのために血を流し,いのちをささげてなくてはならず十字架を忍ばれたのです.
十字架は神の子だから成された御業であり,そこにあらわされた主の愛を深く覚える者とならせて頂きたいと思います.