2月25日 わたしの宝となる者たち
マラキ書3章13節~18節
預言者マラキを通して、「あなたがたのことばは、わたしに対して度を越している」(13)と主が告げられました。このことは、イスラエルの民があまりにも言いたい放題であったことを意味しています。どのようなことを言っていたかについても具体的に示されていて、「神に仕えるのは無駄だ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の得になろう。今、私たちは高ぶる者を幸せ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる」(14~15)と語っていたのです。神を神とすることさえ出来ず、自分の損得が優先され、神の御心を求めていこうともしない、明らかに堕落した姿を指摘されたのでした。
祭司たちも民たちも神の前に祭儀を行っていましたが、それは明らかに形骸化しており、それに気づかずにいる程に深刻な状態であったと言えます。
しかし、このような民が多 くいたにも関わらず、主を恐れる人々がいました(16)。そのような人々を主は覚えていてくださり、「わたしが事を行う日に、わたしの宝となる」(17)と言って下さいました。
どのような時代となっても、今日を生きる私たち信仰者は、主から「わたしの宝」と言われるような者として、信仰に歩む者とならせて頂きたいと思います。