8月20日 「キリストの苦しみの欠けたところ」
コロサイ人への手紙1章24節~29節
パウロは,このコロサイ人への手紙を書いている時はローマの獄中にいました.それゆえ「今,私は,あなた方のために受ける苦しみを喜びとしています」(24)と告白しました.パウロは,単にコロサイ教会の信徒のために苦しみの中にあると言っているのではなく,キリストを信じる者たちのため,教会のために自分が受ける迫害をむしろ喜んで受ける覚悟があると言っているのです.
また,「私は,キリストのからだ,すなわち教会のために,自分の身をもって,キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」(24)と言いました.ここで誤解してはいけないのは,「キリストの苦しみの欠けたところ」とは,主イエスの十字架の苦しみが不完全であったということではなく,キリストの十字架は罪の贖い,救いの御業として完全であったということです.パウロが強調しているのは,キリストの福音を宣べ伝えていく上で出会う困難・迫害をのことであり,自分がそのような境遇に置かれたとしても,むしろ福音宣教は前進していくことになることを覚え,主にあって仕え続けて行くことの幸いを語っているのです.私たちも積極的に福音宣教のためにその重荷を担い,主に励まされて出ていく者となることが出来たらと願います.