11月16日 主の宮,わたしの名をそこに置く
列王記第一8章22節~53節
◇ソロモンの奉献礼拝における祈りで注目したいことは、約7年もの歳月と多くの財、多くの労を費やして、かつて見たこともない荘厳な主の宮(神殿)を建て上げることが出来たにも関わらず、「それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。」(27)と祈ったことです。確かに、神は地上の一所になどおられるお方ではなく、天においてすべてを治められるお方です。ですから、ソロモンは「そして、この宮、すなわち『わたしの名をそこに置く』とあなたが言われたこの場所に、夜も昼も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向かってささげる祈りを聞いてください。」 (29)と祈りました。主の宮は神様に入って頂いてつなぎとめる場所ではなく、神の前にささげる祈りの場であり、祈りが神とつながり、神の近くにおらせて頂くことになると言うことなのです。ソロモンの祈りが終わった時、その祈りに応じるように天から火が下り、ささげものが焼きつくされました(歴代誌第二7章)。それは、祈りのうちに主が臨んでおられることを示しています。
◇今日も、神様は、私たちの祈りを聞いてくださるお方です。いつも祈り心をもって歩んでいく者でありたいと思います。そして、主の日の日曜日ごとに主の宮である会堂に集まり、神の家族である兄弟姉妹と共に祈りつつ、賛美を、礼拝をささげていきたいと思います。

