11月9日 ささげものを携え主の御前へ

歴代誌第二7章1節~11節 [ビデオメッセージは⇒こちら
「ソロモンが祈りを終えると、天から火が下って来て、全焼のささげ物と数々のいけにえを焼き尽くし、主の栄光がこの宮に満ちた。」(1) この時、「天からの火」は何を示しているか。聖書の中で「火」は、しばしば神の裁きをも象徴していますが、出エジプトをしたイスラエルの民を、荒野の旅路において、昼は雲の柱、夜は火の柱が民を導かれたように、「火」は神と民との深い交わりを象徴しています。神の宮が、雲で満ち、主の栄光に満たされ、「天からの火」はささげものをすべてを焼き尽くしました。これは神ご自身がすべてをお受入れくださったことを象徴する出来事であったと思われます。そして、ソロモンと民たちはおびただしい牛や羊のささげものを携えて、神の宮を奉献しました。この時代の礼拝は積極的にささげることがその礼拝の大きな要素を占めていたことを感じます。
今日、私たちの罪の宥めの供え物となってご自分をささげてくださったイエス様の十字架の故に、私たちが動物の犠牲をささげる必要はなくなりました。しかし、奉献礼拝に見る「ささげる」という行為は強制ではなく、積極的かつ自発的な行動であり、私たちにとって倣うべき模範であったと言えます。
実は、礼拝は、賛美をささげ、祈りをささげ、献金をささげるなど、多くはささげる行為にあり受け身ではないことが分かります。積極的なささげる姿勢をもって毎週の礼拝に臨んでまいりたいと思います。

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