4月6日 イエスの裁判から見えること

ルカの福音書22章63節~71節

イエスはユダの手引きによって捕らえられて後,祭司たちによって一方的な尋問と拷問が加えられていきました。それはイエスの身柄を監視する監視人までもがイエスをからかい、むちでたたくというひどい扱いでした(63)。
その後、夜が明けるとともに、最高法院に連れ出され裁判が行われることになりますが、本来正式な手続きをするならば、翌朝に行われるなどあり得ない裁判でした。それは明らかに形式だけのものであり、初めから、結果ありきの一方的な裁判でした。祭司たちは、裁判において、しきりにイエスから神を冒涜する言葉を言わせようと、「おまえがキリストなら、そうだと言え。」(67)と迫ります。しかし、イエスは「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょう。」と言われました。今日の私たちにはここに、主イエスの誠実に受け答えていた姿が印象的に残るのではないでしょうか。
最後に、「では、おまえは神の子なのか。」との問いに、イエスは「あなたがたが言うとおり、わたしはそれです。」(70)と言われます。彼らはその言葉をもって、神を冒涜する言葉を言ったとして、死罪を決定づけました。しかし、この言葉こそ真実であったことを、後に多くの人々が知るようになるのでした。
裁判は真実なことをより明らかにするように働き,今日の私たちに伝えているのです。

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