3月2日 人をゆがめさせてしまうもの
テトスへの手紙3章9節~11節
◇パウロはこの手紙を締めくくるにあたり、もう一度繰り返すように、戒めました。「愚かな議論、系図、争い、律法についての論争は避けなさい。それらは無益で、むなしいものです。」(9)と、繰り返し言われていることは、無益な論争についてです(1:10など)。真理を追究する上での議論は必要なことですが、意味のない空想話などは、何の益にもならず、かえって争いの種となってしまうこともあり、これこそ無駄と言えます。そして、論争はしばしば派閥をつくり、分派の種ともなってしまうことがあります(10)。信仰の仲間、兄弟姉妹であるはずが、いつしか敵対するようになり、それが交わりを阻害してしまうならば本末転倒なのです。
◇パウロは「このような人はゆがんでいて、自分で悪いと知りながら罪を犯しているのです。」 (11)と言いました。自分で議論を仕掛けてきて、途方もない論争の果ては何も益することなく、愚かな自分が示されるばかりであるという虚しさをパウロは指摘しています。
◇人をゆがめてしまうものは、実は外からと言うよりは、自分のうちにあるということに気づき、悔い改めていかなくてはならないということです。私たちのうちに、そのような罪や、傷となっていることはないかを調べ、主にとりあつかって頂くよう祈っていきましょう。