1月19日 無益な話に注意する

テトスへの手紙1章10~16節

パウロは、テトスに対して「実は、反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けている人々の中に多くいます。」(10)と言いました。いつの時代にも、反抗的な発言や無益な議論をけしかけ、人を惑わす者は少なからずいます。当時、割礼を受けている人々の中に多かったと言われているのは、ユダヤ人キリスト者、ユダヤ主義者たちでした。「彼らは、恥ずべき利益を得るために」(11)ばかり終始するような人たちでした。本来ならば模範となるべき立場にありながら、クレタ人を正しく導くどころか、「ユダヤ人の作り話」(14)など、話したい事ばかり話して彼らを惑わしている、とパウロは指摘し、さらに、「彼らは、神を知っていると公言しますが、行いでは否定しています。彼らは忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。」(16)と、「神を知っている」と言いながら、ふさわしい行いがともなっていないと痛烈に非難しました。
神を信じ、その信仰から来る行いは、神のみ教えに照らして正しい、良い行いであるはずです。しかし、そうではないということは、そもそもに「神を知る、信じる」と口では言っても、行いの伴わない上辺だけの信仰であるとパウロは指摘したのです。
私たちは無益な議論や口先だけのことばを語るのではなく、慎み深く誠実に歩む者となることができるように祈っていきましょう。

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