10月27日 みことばの戸が開く時

詩編119編121節~136節[ビデオメッセージは⇒こちら

詩篇119篇は日本のいろは歌のように、ヘブル語のアルファベットを文頭に順番に揃えたものとなっています。アルファベツト順の配列は、多くの人が暗記しやす<、親しみ深いものであったと言えます。
119篤123節「私の目はあなたの救いとあなたの義のみことばを慕って絶え入るばかりです。」と歌われていますが、ここで「私の目」が「あなたの義のみことば」に注がれていると言われています。これは当時からみことばが意識的に目に留められていたということであり、今日の私たちもしっかりと常日頃からみことばに目を留めて歩むことが期待されていると言って良いでしょう。

また、119篇130節「みことばの戸が開くと 光が差し 浅はかな者に悟りを与えます。」と歌われていることは、みことばの効力、作用が人に悟りを与えていくということです。そもそも、神さまのみことばは一人ひとりの私たちに向けられて語られているのであって、聞いても聞かなくてもよいのではなく、やはり聞くべきであるということを、まず心に留めておきたいと思います。
神のみことばは、今もなお開かれているということは、恵みです。ドアの扉が開くように、心の戸が開かれていく時に、みことばは鮮やかな光となって私たちの心に差し込み、私たちの歩みをも照らします。
今日もみことばによって導きを頂き、信仰を持って歩んでまいりましょう。

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