1月7日 変わらない神の愛
マラキ書1章1節~5節
預言者マラキの宣告のことばのはじめは、主なる神がイスラエルの民に対し て言われた「わたしはあなたがたを愛している。」(2)ということばでした。しか し、イスラエルの民たちは、「どのように、あなたは私たちを愛してくださったの ですか。」と言い、主が愛されているということが分からない、まるで身に覚え のないことのように答えました。愛されているということが、自分にとって何か 益となっているとか、あらゆる面で充足していることがものさしとなってしま い、いつも自分本位の満足感が、愛されていることを感じるバロメーターとな ってしまっていないでしょうか。
主は、「エサウはヤコブの兄ではなかったか。一主のことば一しかし、わたし はヤコブを愛した。」(2)と言われました。エサウとヤコブについては創世記に 記されているように、本来であれば長子の権利を持つエサウが選ばれ、たてら れるところを、弟のヤコブを選ばれたのです。本来選ばれるはずのない ヤコブを、主は取り扱われ導かれたように、主の選びの愛は、あわれみ深く確か なものです。今日、主の選びが私という小さな者を覚え、変わらずに愛して下 さっているということをおぼえ感謝したいと忠います。