1月14日 主にささげる心
マラキ書1章6節~14節
マラキ書で,主の宮に仕える祭司たちは「わたしの名を蔑む祭司たち」(6)と、主にに厳しく語りかけられているにも関わらず、「しかし、あなたがたは言う。『どのようにして、あなたの名を蔑みましたか』と、さばかれている自覚のない返答をするほどに堕落してしまっていました。祭司たちが主を蔑んでいる行為として、主へのささげものがないがしろにされている点が指摘されています。祭司たちはささげる行為を行ってはいましたが、犠牲としてささげる動物が盲目の動物であったり、足の萎えたもの、病気のでもためらうことなくささげていました(8)。かつて、カインとアベルが主へのささげものをささげた時、アベルは自分の羊の初子の中から最高のものを主にささげ、主はアベルのささげものに目を留めて下さいました(創世記4:4).ささげものにはささげる者の心があらわれるものであり、祭司たちはささげていたとしても、そのささげものは欠けたものを平気でささげている状態でした。彼らはただ形式的に行っていたということが厳しく戒められることとなりました。
私たちも主へのささげものは、心のともなった最上のものを感謝してささげていくことが出来たらと願います。